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超満腹感の管理人生活


DF流隷体AW9

  さてさてLEOコラムでございますっ、まいど。 第5回の超満腹感な管理人生活は予告通り、今昔物語『カラオケ編』のリメイクをお送りします!! みんなカラオケって好きだよネっ、俺も。。。もちろん大好きだっ! うっし、松山市内のカラオケ・ルーツを語らずしてカラオケ王子の称号はもらえないカラナ、今回は燃えるゼ、超大作を執筆するゼぇ〜っっっ!
 んんんああ、もともとカラオケってものは昭和50年代には既に発生していたんだね。 8トラの時代でさっ、うちでも中学生の頃、よくオヤジに演歌を聞かされたもんだ。 スピーカーとマイク付きのラジカセもどきの機械でさ、もちろん歌本見ながらの練習だ。 そういえばさ〜、あれって今考えると、誰に聞かせる為にあったんだろう。。。どう考えても、聞かせる為っていうか、たんなる自己満足追求マシーンだったな、ありゃ。 うん、今回は、ここんところがキーワードだな。 さてさて・ではでは本題、松山市内中心の 『 THE 自己満足 ワールド 』 カラオケ流行遍歴を探ってみるゼ!1stLEO'sPowerPuuuuush!!(Tiger風に・・・)


めちゃくちゃ大昔

image 昭和60年、そう僕が大学生だった頃にサカノのぼります。 もちろん今から17年も前の話だ、カラオケBOXなんてなかったよ。 カラオケといえばスナックに置いてあったカセットテープ式のものが主流で、スナックのママが好きな曲のカラオケカセットを買ってきて(1本に10曲位入っている)、なんか薄っぺらい手書きの本に、買ってきたカセットの曲名を新譜の欄に書き込んでたものだ。 もちろん歌詞はカセット付属の歌詞カードを見ながら歌うのだ。 その頃は、おじさんおばさんが演歌とかデュエットを歌う程度で、若者は全然興味なかったけどね。 料金はスナックで1曲200円、カセットだからお客さんから曲のリクエストがあると、そのカセットから曲を頭出しする作業が発生するのだ(リクエストから歌い始めるのに1〜2分かかる)。 このころ僕もスナックでバイトをしていたけど全く興味がなかった。 だって若者向けの曲のカセットが販売されてなかったもんね。

 昭和62年、このカラオケに大変化が産まれる。 いわゆる流行のポップス中心のカセットが次々と販売されるようになったのだ。 それを利用して、いわゆる
カラオケパブが流行、大学生やカップルやナンパのスポットとして大ブレイクだ! 市内の有名所としては「パブ杏里」「カラオケ村」「テン」「B1」「フルーツ村」「トゥインクル」「テクノ」「おたま」などなど、いつも若者で超満員! 平均1人2,500円前後で2時間歌い放題飲み放題が多かった。 でも、まだまだカセット・カラオケの時代でテレビ画面なんてもちろんなくてさ、歌詞なんかはステージに設置されている歌本の歌詞カードを見ながら歌うシステムが多かったね。 歌が決まったら、お店の人が歌本からその曲の歌詞カードを探してくれて(たまに間に合わなくて曲が始まったりしてた)それを見ながら歌うんだぜえ、今考えると超かっちょ悪い! そのうちパブのカラオケもカセット式からレーザディスクになってようやく静止画像(っていうか歌詞付き紙芝居って感じ)がついてくるようになった。 なんせ、合コンやナンパと言ったらパブしかない!って感じだったね。 ハウンド・ドッグとかボーイとかチェッカーズとか、熱唱してたな(笑)。


ちょいと昔のピチピチLEO時代

image 平成元年、僕が大学3年生の頃に、愛媛県内で初めてのカラオケBOXが誕生する!! カラオケ元年の年でもあったりするのだ(分かりやす〜)。 宮西町の現在ドコモ松山支店(愛媛ヤナセ、日産サニー前)の所に24時間コンビニエンスストア&レンタルビデオの『ALWAY24』 っていうお店が1時間500円で営業を始めた(但し別途1曲100円が必要だ)。 このあと『ALWAY24』は、赤鬼青鬼っていうお好み焼とかゲームセンターとか、最後にはショットバーまでやったけど、結局2〜3年でつぶれたね。 なんせ当時すごかったよ、カラオケ人気は。 郊外でも2時間待ちは当たり前で、予約入れてドライブしてから歌いに行ってたね。 その後、33号線や11号線や196号線、56号線と次々にできていった。 もちろんまだチェーン店なんてなかったから、BOXの中も簡素なものだったよ。 だいたい相場は1時間500円別途1曲100円で、歌い放題制度じゃなかった。 だから受付で100円玉の両替機があって、20枚位両替してからBOXに入っていたね。(で、100円玉が切れたら、また両替機に走る) もう、合コンやデートといったらカラオケBOX、バイトが終われば仲間でカラオケBOX、男同士でもカラオケBOXだったね。 で、カラオケBOXで練習して、パブで本番って感じ。

 そして僕が大学を卒業した平成3年頃、カラオケBOXがついに動画レーザディスクの導入と
歌い放題1時間2000円システムが主流になってくる。 それとともにパブが衰退、かわりに夜の街にはカラオケショットバーなるものが誕生。 ショットバーでカラオケを歌うカラオケショットバーなんて、どこが最初に始めたんだろう? 僕が知っている店で一番早かったのは、「HASSEN堂」とか「アーリーバード」それと「パープルレイン」あたりかなあ、ちょうど平成3年頃にOPENした老舗だ。 「HASSEN堂」は、現在インディーズ・インディーヒルのお店のマスターが初めて夜に出した店だったんだよね(バーテンダーのマッちゃん懐かしい!)。 「アーリーバード」とか「ニーズ」とかは、ここから数々のカラオケショットバーのマスターを産み出してるんだよね、「DEV」とか「TERRER」とか「ハロッズ」とかさ。

 でもって、ついに記念すべき
通信カラオケ元年になったのが平成4年、JOYSOUND1号店が松山初の通信カラオケシステムとして導入され、全国的にも嘉門達夫のCMで大ブレイク!! 通信カラオケの到来だ。  もう今ではあたりまえの様な通信カラオケだけど、当初は膨大な投資が必要なため導入するお店は少なかったね。 インターネットもなかった時代、どこのカラオケBOXもレーザーディスクが主流で、松山では「ビックエコー」とか「第一興商」なんかが通信カラオケ大型チェーン店として扱っていた程度だ。 しかし数年して電話回線の通信速度の上昇とともに「るるる」や「カラオケWAO」とかっていう超大型の地元カラオケBOXができて、全国チェーン店は逆に勢力を縮小していくことになる。 最終的には地元通信カラオケBOXが主流の時代となって、街中では大街道「U坊」、郊外ではキスケ「WAO」っていうのが大人気の定番所だったね。


熱唱してなにが悪い!立派な俺の趣味なのだ

image え?僕っすかぁ? そりゃ〜カラオケは超大好きだよ。 少なくともここ10年間は、毎週必ずどこかで歌っているってペースだね。 月に20曲以上、年間300曲は確実に歌っている(あらためて、こんなこと書くとメチャクチャ恥ずかしいぞ、オイ)。 毎週末、いきつけのカラオケショットバー巡りをして、店全体で盛り上がるのが最高のストレス発散だね(な・・・なんかオヤジっぽい気がしてきた)。 ま・・・まあ話を続けよう。 カラオケにも僕なりに楽しみ方っていろいろあってね。 とりあえずカラオケ大好きな仲間達と、ジャンルとか歌手とかパートとかで、誰が歌う歌手とか・誰が覚えなけりゃいけない歌とか、暗黙のルールやパターンを決めてしまうのだ。 このパターンっていうのが仲間以外に説明するのは難しいんだけど、僕達と頻繁に飲んでいる仲間は、その法則が分かっていたりする。 『あっ!この歌は高音がLEOで主音がTIGERのハモリだろ!?』なんて店のスタッフに当てられるくらいだ。

 たとえば僕の基本はメロディー重視系歌手(たまにバラードなんか歌う系)やハモリの高音部担当(こんなこと読者に説明したってしょうがないんだが・・・まあ最後まで聞いてくれぇ・・・)。 たとえば僕がサザンを歌いたくても、サザンはTIGER専門の歌手だから、僕は人前ではサザンを歌ってはいけない(だからTIGERのいない所でコッソリ歌う)。 あとケミストリーやエクザイル、最近ではモンパチなんかのハモリ系は
新曲発売即、高音パートは絶対俺が覚えてくる(覚えてこなけりゃ仲間に怒られる)。 ハモリもB’zはHAWKとしかハモらなかったり、アッシュ・リップスライムはTIGERとハモル、ケツメイシ・カンクルー・マッハなんかは俺の曲じゃなかったりするのでハモリを覚えなくてもいい。 毎月5曲は新曲を必死で覚えて(特に最近のラップは一苦労だ)、なんだか歌ってウケのイイ曲は3ヶ月くらい引っ張って何度も何度も歌う(ウケが悪くなってくるまで歌う)。 暇になったら『◎×△の歌、特集〜』とか言って、同じ歌手の歌を10曲くらいみんなで回して歌う(よく特集候補に挙がるのが、イエモン・アッシュ・モンパチ・ダパンプとかだな)。え?なになに?

「LEOさん、そんな自分達のルールの話をして、なにが言いたいの?」

 そう、いったいLEOはなにが言いたいのかと言うとだ、
個人の趣味なんてのは、簡単だとか難しいとか、周りが見てカッコイイとかカッコワルイとか、くだらないとか役に立つとか、そんな事は関係ないっつう事だ。 『スノーボードなんて、雪の上を板で滑っているだけじゃん』 『バス・フィッシングなんて食えない魚を釣って逃がしてるだけじゃん』 こんな事を言ってる奴に限って、無趣味で無感動人間が多かったりする。 趣味なんてものは「単純なモノを、いかに複雑に考えるか」ってところが楽しいものなんだヨ。

「自己満足を極める。価値は自分で決める。自己ルールにコダワル」

 これが松山野獣会メンバー共通の人生の楽しみ方だ。 たがだかカラオケだけどさ、人より楽しんじゃう方法を考える。 ひいてはこれが人生を更に楽しむ方法の原点だったりするのだとLEOは考える。 な?なんとなく
さっきの話と繋がった?? う〜ん、なんだか話のまとまりが無くなってきたな。。と・・・とにかく今週末も、なんか歌っておけぇ〜! 今回はスッカリ話が長くなってしまったようだ、読んでいるみんなもさすがに疲れただろう。 え??既にTOPページに行っちゃって、最後まで読まれてなかったりして(悲)?? さて、次回はボーリング編をお送りするゼ! じゃね、ここらでBYE!

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image 冷え性とビタミン・ミネラル
LEO 1968年生まれ
愛媛県松山市出身 愛媛県松山市在住
職業 会社員営業 松山野獣会−管理人
メールアドレス leo@yajyu.com
ホームページアドレス http://www.yajyu.com/

 ごぞんじ松山野獣会−愛媛発−の管理人、生まれも育ちも愛媛県松山市で一時は東京での生活を経験するが、やっぱり世界中で一番に愛媛県が大好きだなぁ〜である。 友人も親友も家族も近所にいて、もちろん愛媛県フィールドの遊びならプロフェッショナル、そんな幸せな環境に感謝感激で毎日過ごしている。詳しくは自己紹介コーナーをどんゾ。
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